たく@教員5年目

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七つの習慣~主体的である~

主体的・対話的で深い学び。

よく教育現場で聞かれるこの言葉にも出てくる「主体的」というワード。

なんとなく意味を捉えているつもりだったけれど、今回読んだ著書『七つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー氏)では、かなり明確に説明されていた。そして、人間が幸福な人生を歩むために、やはり基礎となる力であると断言されていた。

 

主体的な人間であるためには、まず動物とは違い、人間が持っている能力「自覚」をする必要があるらしい。自覚とは、「自分を客観的に見つめられる」ことである。

 

なんだそれぐらいできると、私もおもっていたのだが、これが案外できていないらしい。現代の人は周りの声を基にして、自分を客観視することが多い。例えば、

「君はいつも時間に遅れるねぇ」「どうしてあなたは整理整頓ができないの」

「それは君には難しいんじゃない」

もちろん的確なアドバイスを与えてくれている場合もあるが、相手のその時の気分や主観で発言している場合も多い。

また、世間の常識として「人間の行動は決まっている」という考えが広まっている。例えば

①遺伝子決定論・・・日本人は勤勉だ。

②心理決定論・・・昔のトラウマで、人前では私はあがってしまう。

③環境決定論・・・上司のせいで、ダメな部下のせいで。

以上のように、客観的に見て自分ではどうしようもないという考えが世の中にはあるが、果たしてそうだろうか?というのがコヴィー氏の考えである。

 

人間はどんなこと(刺激)が起こっても、それに対して行動を選ぶことができる。これこそが主体的ということである。

コヴィー氏は刑務所の話を例にあげている。

ある捕虜は、厳しい拷問や過酷な環境で収容され、身体的な自由はなかった。しかしその時に、(この経験を後に人々や大学の講義で話したら、貴重な体験として伝えられるだろうなぁ)と考えたそうだ。自分の現状を自覚し、想像力を働かせたのである。

この時の刺激(拷問)に対して、現状を嘆くか、プラスに捉えるか、この思考の自由までは奪われなかったのである。

 

まとめ

主体性・・・すべての結果は、自分の決定と選択によるものであり、人生の責任はすべて自分にあると考えること。「自分がこういう人間だから」「周りの環境がこんなだから」というのは、自分がそのような人間であることを選んだ結果であるし、その環境を選んだ自分の責任である。

また、その環境・ある出来事(刺激)に対して、どう反応(行動)するのかも、自分で選べる。これはyoutube大学の中田敦彦氏の例えを借りるが、「お前の顔ってでかいよな」というよくわからない嫌味を言われても、それに対して「傷ついて言い返す」か、(相手もなにかイラついているのかな?それとも自分がなにか気に障ることを言ってしまったのかな?)と考えて「受け流す」かは自分で選べる。すべて自己責任である。

 

感想

私が教育の場で捉えている主体性とは違う定義だったので面白かった。すべて自己責任はなかなか厳しいが、逆に言えば自分の選択次第で人生は変えられるということだと思う。私も自分への思い込みや、周りのせいにした逃げがなかったか、今一度振り返ってみたい。